2013年5月28日火曜日
Les Confessions / Jean Jacques Rousseau
わたしはぼんやりと木の幹に石を投げていた。いつもの腕前で、ということは、ほとんどひとつも当たらなかったという意味だが。この遊びの最中にふとわたしは、不安をしずめるためにこれで占ってみようと思いついた。そこでこう自分にいった。「この石を目の前のあの木に投げてみよう。当れば、救われる徴候だし、失敗すれば地獄に落ちる徴候だ」とうそぶきながら石を投げる。ひどく胸がどきどきし手がふるえていたが、運よく木のまんなかに命中した。いや、実はなんでもないことなのだった。すぐそばの非常に太い木をわざと選んだのだから。それ以来、わたしはもう自己の救いを信じて疑わなくなった。この時のことを思い出すと、自らを笑っていいのか悲しんでいいのか、わたしにはわからない。
2013年2月17日日曜日
Logique du sens / Gilles Deleuze
与えられた名 n1 は、n1 の意味を指示する n2 に対応し、n2 は n3 に対応する、というようになる。それぞれの名について、言語はこの名の意味に対応する名を含まなくてはならない。言語的実体のこの無限の増殖は、フレーゲのパラドックスとして知られている。しかし、これはまたルイス・キャロルのパラドックスでもある。それは、アリスが鏡の向こう側で騎士に出会うとき、明確に現われる。 騎士はこれから歌う歌のタイトルを告げる。「歌の名は鱈の目だ」「それが歌の名なの」とアリスは言う。騎士は答える――「お前にはわかってないな。名がそのように呼ばれているのだ。本当の名は、老人だ」「歌はそういう風に呼ばれているのと言えばよかったのかしら」とアリスは言い直した。「そうじゃない。それは別のことだ。歌は方法と手段と呼ばれている。しかし、それはただそう呼ばれているというだけのことだよ。わかるかな」「でも、そうすると、歌は何なの」。騎士は言う、「つまり、歌は本当は「柵に腰かけて」なのだ」。
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