2006年5月19日金曜日

Apology of Socrates / Plato



また次のように考えて見ても、死は一種の幸福であるという希望には有力な理由があることが分るであろう。けだし死は次の二つの中のいずれかでなければならない。すなわち死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らの感覚をも持たないか、それとも、人の言う如く、それは一種の更生であり、この世からあの世への霊魂の移転であるか。またもしそれがすべての感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものならば、死は驚嘆すべき利得といえるであろう。というのは、思うに、もし人が夢一つさえ見ないほどの熟睡した夜を選び出して、これをその生涯中の他の多くの夜や日と比較して見て、そうして熟考の後、その生涯の幾日幾夜さをこの一夜よりもさらに好くさらに快く過ごしたかを自白しなければならないとすればーーー思うに、単に普通人のみならず、ペルシャ大王といえども、それは他の日と夜とに比べて容易に数え得るほどしかないことを発見するであろうからである。それで、死がはたしてかの如きものであるならば、私はこれを一つの利得であるといおう。その時永遠はただの一夜よりも長くは見えまいから。これに反して死はこの世からあの世への遍歴の一種であって、また人の言う通りに実際すべての死者がそこに住んでいるのならば、裁判官諸君よ、これより大いなる幸福があり得るだろうか。





2006年5月4日木曜日

冬のサナトリウム / あがた森魚



ほんの少しだけれど 陽が射し始めた
雪明り 誘蛾灯
誰が来るもんか 独人

荒野から山径へ 邂逅はまぼろし
弄びし夏もや 何が視えたんだろうか
抱擁て

十九歳十月 窓からたびだち
壁でザビエルも ベッドで千代紙も
涕泣いた