2006年6月19日月曜日

Phaedo / Plato



諸君、人々が快と呼んでいるものは、なんとも奇妙なもののようだ。それの反対と思われている苦痛に対して、快は生来なんと不可思議な関係にあることだろう。この両者はけっして同時に人間にやって来ようとはしないのに、だれかが一方を追いかけてつかまえると、ほとんど常に他方をもつかまえさせられる。まるで、二つでありながら、一つの頭で結合されているみたいにね。僕が思うに、もしもアイソポスがこのことに気づいていたならば、きっとこんな話を作ったことだろう。神様は、快と苦が争っているのを和解させようと望まれたが、できなかったので、かれらの頭を一つに結び付けてしまわれた。このために、一方がだれかのところへやって来ると、その後で他方もまたついてくるのである、と。じっさい、僕自身にもちょうどそういうことが起こっているらしい。足枷につながれていたときには、脚にはずっと苦痛があったのだが、快がそれに続いてやって来たようだ。





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