2008年7月3日木曜日

二十歳のエチュード / 原口統三



「数学ほど、私に明晰に見えるものはない。」
このやうな言葉の前に僕は意地悪かつた。
より明晰なこととは、より冷たい眼を持つことであると僕は考へた。この「冷たい眼」を僕は自意識と名づけた。
一切の「許容」「妥協」「弱気」これを僕は「曖昧さ」と名づけた。
そこで僕は「形式」を持たねばならぬ、といふこと、「生きるとは何らかの意匠を与へられることだ」といふ問題の前に腕組みした。そこでこの「許容」に身を以てぶつかることだつた。
僕の純粋さが、懐疑の最も冷たい眼、即ち「死の眼」を持つことを要求したのだ。

認識するとは、我々が生れ落ちる時に与へられるもの、即ち、豊かな生命の衣を少しづつでも剥いでゆくことではないのか。自ら血を流す、とはこのことなのだ。

血は絶え間なく流れて、刻々に僕の身体は冷えて行つた。
精神のより深奥を目指して進むものは、より「生きること」から遠ざかるのである。




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