2005年9月14日水曜日

La Mort / Vladimir Jankelevitch



生者は、死ぬ運命という条件でのみ生者だ。そして、生きていないものは死なないというのもたしかに真実だが、それは死なないものは生きていないからだ。岩は死なない。布製の花はけっしてしおれない。だが、また、布製の花あるいは一つの岩の永遠の生、そのような生は永遠の死だ。というのは、死ぬものしか生者ではないのだから。あるいは、ジャン・ヴァールが言うように、生きているものとは死ぬことのできるものだ。死ななくては、生は生きる価値がないことだろう。死のない生に呪いあれ。エピクテートスは言う。『死なないことは呪いだ』。恒久的持続、限りなく引き延ばされた実存は、ある点では呪いの最も典型的な形であろう。というのは、地獄で被造物は恒存的不眠と終わることない倦怠という刑罰に処されているのだから。地獄とは、死ぬことのできないことだ。そこで、われわれは有限性における充全性と非存在における永遠とのいずれかを選ばねばならない。

どちらがよいのだろう。庭に咲くはかない生花か、標本となった乾いた永遠の花か。




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