2006年1月30日月曜日

Le Suicide / Emile Durkheim



どんな生物も、その欲求が十分に手段と適合していないかぎり幸福ではありえないし、また生きることもできない。それに反して、もしも欲求が、手段の上で許容されるもの以上を求めたり、あるいはたんにその手段とかかわりのないものを求めたりするならば、欲求は、たえず裏切られ、苦痛なしには機能しえないであろう。ところで、つねに苦痛をともなう行動は、くりかえし行われないのがふつうである。十分に満たされない傾向は萎縮するが、生きるという傾向は他のすべての傾向の総体であるから、もし他の傾向が弱まれば、生きるという傾向も弱まらざるをえない。

欲求がたんに個人だけにもとづいているかぎり、けっきょく、それは規制しているいっさいの外部的な力をとりさってしまえば、それ自体では、なにものも埋めることのできない底なしの深淵である。

そうであるとすれば、外部から抑制するものがないかぎり、われわれの感性そのものはおよそ苦痛の源泉でしかありえない。というのは、かぎりなき欲望というものは、そもそもその意味からして、満たされるはずのないものであり、この飽くことを知らないということは、病的性質の一徴候とみなすことができるからである。限界を画すものがない以上、欲望はつねに、そして無際限に、みずからの按配した手段をこえてしまう。こうなると、なにものもその欲望を和らげてはくれまい。やみがたい渇きは、つねに新たにおそってくる責苦である。




2006年1月15日日曜日

Les mots et les choses / Michel Foucault



この書物の出身地はボルヘスのあるテクストの中にある。それを読みすすみながら催した笑い、思考におなじみなあらゆる事柄を揺すぶらずにはおかぬ、あの笑いの中にだ。いま思考と言ったが、それは、われわれの時代と風土の刻印をおされたわれわれ自身の思考のことであって、その笑いは、秩序づけられたすべての表層と、諸存在の繁茂をわれわれのために手加減してくれるすべての見取図とをぐらつかせ、<同一者>と<他者>についての千年来の慣行をつきくずし、しばし困惑をもたらすものである。


ところで、そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。「動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳のみ豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごとく細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壷をこわしたもの、(n)とおくから蝿のように見えるもの。」


この分類法に驚嘆しながら、ただちに思いおこされるのは、つまり、この寓話により、まったく異なった思考のエキゾチックな魅力としてわれわれに指ししめされるのは、われわれの思考の限界、<こうしたこと>を思考するにあたっての、まぎれもない不可能性にほかならない。





2006年1月6日金曜日

ハピネス / Syrup16g



青春は先週で終わった
発想は尽きない
どうしようもない方向でいっちまっても
照れ笑いで再開

完全は完璧じゃないや
想像が織り成す500万画素の別天地なんかを
再現してみたいな

センシティブなエモーション系マイマインド
情感の鬼だ
電車の窓をこする夕日なんかも最重要文化財

I'm ハピネス
どうなっても
悲しみは消える

だけどたまに思うんだよ
これは永遠じゃないんだって
誰かの手にまたこの命返すんだ

ねぇ、そんな普通をみんな耐えてるんだ
ねぇ、そんな苦痛をみんな耐えてるんだ

頭はハピネス いつもハピネス 多分ね
一生オレはハピネス 不幸もハピネスだろう

だからいつも祈るんだよ
不浄な罪 犯ちの
すべてを償って
またここに帰るんだ

ねぇ、そんな普通をみんな耐えてるんだ
ねぇ、そんな苦痛をみんな耐えてるんだ

そうか そうか そうだったんだ
そんな そんな そんな もんだ

2006年1月3日火曜日

Who You Are / Pearl Jam




stop light plays its part
so i would say you've got a part
what's your part? who you are
you are who, who you are




赤信号にもその役割がある
だから僕は言おう、君にも役割があると
君の役割は、君であること
君は、君でしかないのだから