2006年1月15日日曜日

Les mots et les choses / Michel Foucault



この書物の出身地はボルヘスのあるテクストの中にある。それを読みすすみながら催した笑い、思考におなじみなあらゆる事柄を揺すぶらずにはおかぬ、あの笑いの中にだ。いま思考と言ったが、それは、われわれの時代と風土の刻印をおされたわれわれ自身の思考のことであって、その笑いは、秩序づけられたすべての表層と、諸存在の繁茂をわれわれのために手加減してくれるすべての見取図とをぐらつかせ、<同一者>と<他者>についての千年来の慣行をつきくずし、しばし困惑をもたらすものである。


ところで、そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。「動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳のみ豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごとく細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壷をこわしたもの、(n)とおくから蝿のように見えるもの。」


この分類法に驚嘆しながら、ただちに思いおこされるのは、つまり、この寓話により、まったく異なった思考のエキゾチックな魅力としてわれわれに指ししめされるのは、われわれの思考の限界、<こうしたこと>を思考するにあたっての、まぎれもない不可能性にほかならない。





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