3月5日
今日もまた「こんなことしている場合じゃないのに」の練習をした。いつにもまして熱のこもった「こんなことしている場合じゃないのに」だった。それから久しぶりに「少しだけの仮眠のはずだったのに」をやろうとした。90分の仮眠をとろうとしたらうっかり8時間も眠った。自分もなかなか「少しだけの仮眠のはずだったのに」が上達したなと思った。
小学生の頃、偶然テレビで見た「フレンズ」という映画を、最近よく思い出す。この映画は、ぼくや右近、それに大統領が生まれた年に撮られたもので、フランスの田舎町が舞台になっている。優れた映画だとは言えないが、生涯忘れられないだろう、あるシーンをぼくはこの映画の中に持っている。
これは、家出をした十四歳の男の子と女の子が、田舎で二人だけの暮らしを手に入れようとする物語だ。廃屋に住みついた金もない彼らは、愛だけで暮らしていこうとする。しかし、そんな生活が長続きするわけもない。男の子が市場から盗んできた一匹の魚を、二人で分け合うような暮らしなのだ。そんな中、男の子が町の闘牛場で清掃員の仕事を見つける。そして、この映画の中、ぼくが一番好きなシーンになる。
満員の観客の中に少女の姿がある。始まった闘牛に立ち上がって熱狂する観客の中、彼女だけが、ぽつんと一人座ったままでいる。見事なファエナで牛が殺され、マタドールが退場したあと、次の試合のためにグランドの清掃が始まる。興奮していた観客は一人二人と腰を下ろしてしまう。そんな中、少女が勇敢にも、一人立ち上がる。そして箒を持ってグランドに現れたその少年に、彼女は歓声を上げ、誇らしげに拍手を送るのだ。
ぼくはこのシーンを思い出すと、急に素っ裸になったような気がする。もしもぼくがグランドを清掃するとして、誰がこの観客の中、立ち上がってくれるだろうか?そして、その立ち上がってくれる人を、ぼくはこの少年のように大切にしてやれるだろうか。
お茶を飲むと、寒さのきびしい夜だったがぼくたちは抱き合うようにして外に出て、冬空の下に立った。風は止んでいた。天使が降りてきそうな夜だ。ぼくたちの上では満天の星が輝いている。まるで神様が腕を大きくひとふりして、天の種まきをしたかのようだ。
星の光は賛美歌を歌っているようだった。
ぼくは両脇に立っている母さんとキャリー伯母さんを抱きしめ、今までぼくを祝福してくれたあらゆる実りに感謝をささげていた。感謝で胸がはち切れそうだ。ぼくは自分が大きくたくましくなったように感じていた。ジャンプすれば星をもぎとってポケットにかくし、おもちゃにしてしまうことさえできそうだった。
星は黄色く白く輝いている。十二月の星のなかにひとつだけ、生まれたばかりのような星がみえた。ぼくは思わず指さした。母さんとキャリー伯母さんもつられて顔をあげると、敬虔な気持ちでその神秘的な光をみつめた。
「ほら」ぼくはいった。「あの金も銀もみんなぼくたちの宝物なんだ」
Hier tout était plus beau
la musique dans les arbres
le vent dans mes cheveux
et dans tes mains tendues
le soleil