2006年12月12日火曜日

Human Dignity / W.B. Yeats



彼女のやさしさは譬えれば月か
仮にやさしさとは相手への理解なんぞ
ほったらかしにして すべてを
等し並みにみることだと言えるなら
ぼくの悲しみなんぞは いうなれば
壁絵の一情景にすぎぬのさ

というわけで ぼくは石ころ同然
折れた木の根っこに横たわる
もし 心にわだかまる苦悶を
飛びゆく鳥にむかって叫んだなら
立ち直れもしようが 黙したままだ
人間としての気位のためにさ


Like the moon her kindness is,
If kindness I may call
What has no comprehension in't,
But is the same for all
As though my sorrow were a scene
Upon a painted wall. 
So like a bit of stone I lie
Under a broken tree.
I could recover if I shrieked
My heart's agony
To passing bird, but I am dumb
From human dignity.





2006年12月11日月曜日

He wishes his beloved were dead / W.B. Yeats



あなたが死んで 冷たくなりさえしたら
西空から星のともしび うすれゆくころ
あなたは私に近より 頭をさげることでしょう
わたしもあなたの胸に頭をうずめることでしょう
あなたは私を赦し やさしいことばでささやいて
くれましょう もう あの世の人なのですから
野鳥のような意志をもった あなたですけど
もはや あわただしく立ち去ったりはせず
その髪が 群れ星や月や太陽のまわりに
いく重にも巻きついているのを知るでしょう
おお恋人よ 大地のなか すかんぽの葉の下に
あなたのからだが横たわってほしいのです
星のともしびが ひとつひとつ薄れるころに 

Were you but lying cold and dead,
And lights were paling out of the West,
you would come hither, and bend your head,
And I would lay my head on your breast;
And you would murmur tender words,
Forgiving me, because you were dead:
Nor would you rise and hasten away,
But know your hair was bound and wound
About the stars and moon and sun:
O would, beloved, that you lay
Under the dock-leaves in the ground,
While lights were paling one by one.





2006年12月10日日曜日

Death / W.B. Yeats



死に臨み けだものには
恐怖も希望もないけれど
人間は最後を待つときに
すべてに恐怖と希望を抱く

いくたびも人間は死に
いくたびもまたよみがえった
誇り高い偉大な人物は
刺客の面々を前にしながら
止まる息の根にむかい
冷笑をあびせかける

彼は死の髄までを識るーーー
死を創ったのは人間なのだと

Nor dread nor hope attend
A dying animal;
A man awaits his end
Dreading and hoping all; 
Many times he died,
many times rose again.
A great man in his pride
Confronting murderous men
Casts derision upon
supersession of breath;

He knows death to the bone ---
Man has created death.





2006年11月9日木曜日

Parerga Und Paralipomena / Arthur Schopenhauer



あたかも小河が何の障碍にも出会わない限りは渦をなさないように、我々も我々の意志通りに動いているすべてのものには余り気もつかず注意もしない、というのが人間並びに動物本来の姿である。もしも我々が何かに気づくことがあるとすれば、それは即ち我々の意志通りにいっていないことがある証拠で、何らかの障碍につきあたっているに違いないのである。ーーーところが、我々の意志に逆い、それを妨害し、それに対抗しているような一切のもの、即ち不快で苦痛な一切のものは、我々はこれを直接に即座にそして極めて明瞭に感ずる。ちょうど我々が身体全体の健康は感じないで、靴ずれのする小さな個所が気になるといった具合に、我々はまた完全に旨くいっている事柄全体のことは考えないで、我々を不快にする何かしらほんの小さなことを気にするのである。ーーー私がしばしば苦痛の積極性に対立する安楽と幸福の消極性を力説してきたゆえんもまたここに存するのである。

善とは、即ち一切の幸福と一切の満足とは、消極的なものである。換言すれば、それは単に欲求が静まり苦痛が熄んでいるということにすぎないのである。




2006年10月8日日曜日

Chanson De La Plus Haute Tour / Arthur Rimbaud



もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った
  海だ。

僕の永遠の魂よ、
希望は守りつづけよ
空しい夜と烈火の昼が
たとい辛くも。

人間的な願望から、
人並みなあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

絶対に希望はないぞ、
希いの筋も許されぬ。
学問と我慢がやっと許してもらえるだけで……。
刑罰だけが確実で。

明日はもうない、
熱き血潮のやわ肌よ、
   そなたの熱は
   それは義務。

もう一度探し出したぞ!
ーー何を?ーー永遠を。
それは、太陽と番った
   海だ。

2006年9月14日木曜日

Both Sides Now / joni Mitchell



幾重にもなって風に流れる天使の髪の毛
空に浮かぶアイスクリームのお城
いたるところに羽の谷間
そんな風に私は雲を見て来た

だけど今や雲は太陽を遮るだけの存在
そしてあらゆる人の上に雨や雪を降らせる
本当にいろんなことが私にはできたかもしれないのに
雲が私の邪魔をした

私は両方から雲を見て来た
上からも下からも、それなのにどういうわけか
私に思い出せるのは雲のまぼろしだけ
雲がどんなものか私にはいまだにはっきりとは判らない

お月さまに6月
それにフェリスの大観覧車
踊りまくって目眩めく感じ
そしておとぎ話がすべて現実になって行く
そんな風に私は恋を見て来た

でも今気がついてみればまるで違うその姿
去り行くあなたは笑い者にされるだけ
たとえあなたが気にかけていたとしても
そんな素振りを見せてはいけない
自分の本心をさらけ出したりしちゃだめ

私は両方から恋を見て来た
与えたり奪ったり、それなのにどういうわけか
私に思い出せるのは恋のまぼろしだけ
恋がどんなものか私にはいまだにはっきりとは判らない

涙と恐れ、そして誇らしげな気持ち
大声ではっきりと”あなたを愛しています”ということ
いくつもの夢と企み そしてサーカスの人込み
そんな風に私は人生を見て来た

だけど今かつての友だちはよく判らない振るまい
彼らは頭を横に振って、私は変わってしまったと言う
失われたものもあるけど得たものだってある
日々生きて行く中で

私は両方から人生を見て来た
勝ったり負けたり、それなのにどういうわけか
私に思い出せるのは人生のまぼろしだけ
人生がどんなものか私にはいまだにはっきりとは判らない




Bows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at cloud that way

But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things i would have done
But clouds got in my way

I've looked at clouds from both sides now
From up and down, and still somehow
It's cloud illusions i recall.
I really don't know clouds at all

Moons and junes and ferris wheels
The dizzy dancing way you feel
As every fairy tale comes real
I've looked at love that way

But now it's just another show
You leave 'em laughing when you go
And if you care, don't let them know
Don't give yourself away

I've looked at love from both sides now
From give and take, and still somehow
It's love's illusions i recall
I really don't know love at all

Tears and fears and feeling proud
To say "i love you" right out loud
Dreams and schemes and circus crowds
I've looked at life that way

Oh but now old friends are acting strange
And they shake their heads
and they tell me that I've changed
Something's lost but something's gained
In living every day

I've looked at life from both sides now
From win and lose, and still somehow
It's life's illusions i recall
I really don't know life at all




2006年9月4日月曜日

悲劇週間 / 矢作俊彦



その夜、ぼくはノートを広げて待った。ぼくの詩がどこからか蝶の群れのように降ってくるのを。いくら大陸を渡る蝶だって、いずれは羽を休めに降りてくるはずだ。

詩にできれば、ぼくの心はすっかり軽くなるはずであった。ぼくはそういう男なのだ。

ぼくのお国は詩の中にある。それなら渡り鳥と同じ、国境などどこにあろう。

ノートは一行も埋まらなかったが、ぼくは失望などしていない。このことを書く言葉が、まだないというだけだ、このぼくの中に。いずれ満たされるだろう、あの夜のように。

今はないその言葉に、きっとぼくの祖国はあるのだ。パンチョ・ビリャの腰の物のように。うそぶくな黒い拳銃。ああ、俺はひとりになってやる。

偽るな我が旅路を。俺には行く手がある。




2006年8月11日金曜日

The Catcher In The Rye / J.D. Salinger



「君を怖がらせるつもりはない」と彼は言った。「でもね、私の目にはありありと見えるんだよ。君が無価値な大義のために、なんらかのかたちで高貴なる死を迎えようといているところがね」、彼はちょっとおかしな目で僕を見た。「もし私がここで君のためにちょっとした一文を書いたら、君はそれを注意深く読んでくれるだろうか? そして手許にとっておいてくれるかな?」


「はい。もちろん」と僕は言った。そして実際に言われたとおりにしたんだよ。先生がそのときにくれた書き付けは今でも持っている。


彼は部屋の向こう側にある机のところに行って、立ったまま紙に何かを書きつけた。それから紙を手に戻ってきて、腰を下ろした。「不思議と言うべきかどうか、これは本職の詩人の書いたものじゃない。ヴィルヘルム・シュテーケルという精神分析学者によって書かれた。彼はこう記してーーー聴いてるかい?」


「はい。聴いてます」


「彼はこう記している。『未成熟なもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』」


先生は身を乗り出すようにして僕にそれを渡した。僕は渡された紙を一読し、お礼を言ってポケットにしまった。わざわざそんなことをしてくれるなんて、なんて親切なんだろうと思った。いや、本心そう思ったんだよ。ただ問題はさ、僕が意識をうまく集中できないってことだった。やれやれ、なんか急にどどっと疲れが出て来ちゃったみたいだった。





2006年7月25日火曜日

Les Jeux Et Les Hommes / Roger Caillois



近代社会は、その原理にもとづき、またしだいにその制度によっても、出生や遺伝の領域、すなわち偶然の領域をせばめ、規則のある競争の領域、すなわち能力の領域をひろげる傾向を持つ。こうした進化は、人材を十分活用するという公正を、合理性を、必要性を共に満足させるのである。政治的改革者たちがより公正な競合を考えつき、その実現を急ごうと絶えずつとめるのは、そのためなのだ。しかし、彼らのそうした活動の結論はお粗末で、人を失望させ、時に迂遠で、非現実的に思える。

さしあたり、思慮分別のできる年齢になると、誰しもが時期はもう遅く、賭けは終わったとかんたんに納得する。みな、それぞれの条件の中に閉じこめられてしまうのだ。能力を発揮することにより条件を改良はできようが、そこから脱出はできない。多少の改良は、生活水準を根底的に変えはしないのである。そこで、近道や短絡を求める気持ちがでてくる。他のやりかたに比べればかなり思いがけない成功を与えてくれるものにあこがれる。この気持ちは、くじで満たすほかはない。労働や地位は、そういうあこがれについては無力だから。

賭けるということ、それは、労働を、忍耐を、倹約を放棄することだ。もし運ということがなければ、また部分的にはまさに運の管轄である投機に走らなければ、労働と窮乏とのくたびれ果てた生活ではけっして得られないだけのものを、幸運は瞬く間に与えてくれる。賞金は、人の気をより惹くために、少なくとも最高賞の額は引き上げねばならない。逆に、富くじの札の方はなるたけ安価な方が良く、また安直に賭けたがっている多数の大衆まで届くように分売可能にしておく方がよい。ということは、莫大な金額をもうけた人は稀ということになる。だが、それが何であろう。最幸運者の手に転がりこむ金は、だからこそ、いっそう眩く見えるのだ。




2006年6月22日木曜日

Untitled / Bruce Lee




I don't believe in styles anymore.


Styles tend to not only separate man, you know, because they have their own doctorines and doctorines become the gospel truth, you know, and you cannot change.


But if you do not have style, you just say here I am as a human being, how can I express myself, totally and completely.


That way, you won't create a style, because style is a crystallization..., that way is a process of continuing growth.






2006年6月19日月曜日

Phaedo / Plato



諸君、人々が快と呼んでいるものは、なんとも奇妙なもののようだ。それの反対と思われている苦痛に対して、快は生来なんと不可思議な関係にあることだろう。この両者はけっして同時に人間にやって来ようとはしないのに、だれかが一方を追いかけてつかまえると、ほとんど常に他方をもつかまえさせられる。まるで、二つでありながら、一つの頭で結合されているみたいにね。僕が思うに、もしもアイソポスがこのことに気づいていたならば、きっとこんな話を作ったことだろう。神様は、快と苦が争っているのを和解させようと望まれたが、できなかったので、かれらの頭を一つに結び付けてしまわれた。このために、一方がだれかのところへやって来ると、その後で他方もまたついてくるのである、と。じっさい、僕自身にもちょうどそういうことが起こっているらしい。足枷につながれていたときには、脚にはずっと苦痛があったのだが、快がそれに続いてやって来たようだ。





2006年5月19日金曜日

Apology of Socrates / Plato



また次のように考えて見ても、死は一種の幸福であるという希望には有力な理由があることが分るであろう。けだし死は次の二つの中のいずれかでなければならない。すなわち死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らの感覚をも持たないか、それとも、人の言う如く、それは一種の更生であり、この世からあの世への霊魂の移転であるか。またもしそれがすべての感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものならば、死は驚嘆すべき利得といえるであろう。というのは、思うに、もし人が夢一つさえ見ないほどの熟睡した夜を選び出して、これをその生涯中の他の多くの夜や日と比較して見て、そうして熟考の後、その生涯の幾日幾夜さをこの一夜よりもさらに好くさらに快く過ごしたかを自白しなければならないとすればーーー思うに、単に普通人のみならず、ペルシャ大王といえども、それは他の日と夜とに比べて容易に数え得るほどしかないことを発見するであろうからである。それで、死がはたしてかの如きものであるならば、私はこれを一つの利得であるといおう。その時永遠はただの一夜よりも長くは見えまいから。これに反して死はこの世からあの世への遍歴の一種であって、また人の言う通りに実際すべての死者がそこに住んでいるのならば、裁判官諸君よ、これより大いなる幸福があり得るだろうか。





2006年5月4日木曜日

冬のサナトリウム / あがた森魚



ほんの少しだけれど 陽が射し始めた
雪明り 誘蛾灯
誰が来るもんか 独人

荒野から山径へ 邂逅はまぼろし
弄びし夏もや 何が視えたんだろうか
抱擁て

十九歳十月 窓からたびだち
壁でザビエルも ベッドで千代紙も
涕泣いた


2006年4月19日水曜日

Mediocrite / Jules Laforgue



永遠のきらめきに満ちた無限の中、
一個の原子のように埋没し、知る人もなく孤立して、
余命数日にすぎぬ1つの塊、それは地球と呼ばれ
寄生虫を乗せ、広漠たる奈落へと飛翔してゆく。

その息子たち、青ざめて、熱っぽく、労苦に鞭うたれながら
歩んで行く。この壮大なる神秘には彼らは無頓着なのだ、
そして埋葬される仲間のひとりが通るのを見ても
会釈をし、べつに驚愕で身の毛もよだつふうではない。

その大半はただ生きては死に、地球の歴史も
永遠の栄光包まれた自己の悲惨も、
太陽が死に瀕するとき、味わうであろう己が苦悩も気にしない。

宇宙の眩暈よ、永遠にお祭気分の空よ!
なにひとつ、彼らは知ることはあるまい。しかも
どんなに多くの者が、自分の惑星を訪れもせず去ることか。


2006年4月7日金曜日

Veillee d’hiver / Jules Laforgue



みなは眠る。眠れないぼく、「地球」の心臓さ。
空を見ようとカーテンを開ける、
月は大きなひなげしのように赤く、
遠くの屋根は屍衣の襞さながらに白い。

月は大きなひなげしのように赤く……
ぼくはとても薄着の乞食たちの身を案じる
屍衣がまた覆ったあの白い屋根の下で、彼らも
火のぬくもりや暖かな寝床をもたぬのだろう。

とても薄着の哀れな乞食たちよ、
どこにも火のぬくもりや暖かな寝床のない君たち、
果てしないすすり泣きを神に聞かせるでない、
ひとりぼっちで回る土塊の上に、みんないるのさ。

ぼくのように、果てしないすすり泣きをこらえろ……
ああ!ぼくのはもっと大きい。でも黙らせた。
地球は空を飛ぶ、ひとりぼっちの土塊のように……
ーーー今、あの高みで、神は何を夢みているのだろう?


Tout dort. Je ne dors pas, moi, le coeur de la Terre.
Pour regarder au ciel j'ecarte mon rideau,
La lune est rouge ainsi qu'un grand coquelicot,
Au loin les toits sont blancs comme aux plis d'un suaire.

La lune est rouge ainsi qu'un grand coquelicot...
Je songe aux gueux vetus d'un habit tres-sommaire
Et qui, sous ces toits blancs que recouvre un suaire
N'ont pas ainsi que nous bon feu tiede et lit chaud.

O pauvres gueux vetus d'un habit tres-sommaire,
Qui n'avez nulle part bon feu tiede et lit chaud,
Ne criez pas vers Dieu votre eternel sanglot,
Nous sommes sur un bloc qui roule, solitaire.

Ravalez comme moi votre eternel sanglot,...
Ah ! le mien est plus grand ; portant j'ai du le taire.
La terre vole aux cieux comme un bloc solitaire...
ーーー A quoi Dieu reve-t-il, en ce moment, la haut ?





2006年4月6日木曜日

日の光 / 金子みすず



おてんと様のお使いが
そろって空をたちました。
みちで出合ったみなみ風、
何しにどこへ、とききました。

一人は答えていいました。
この明るさを地にまくの、
みんながお仕事できるよう。

一人はさもさもうれしそう。
私はお花を咲かせるの、
世界をたのしくするために。

一人はやさしく、おとなしく、
私は清いたましいの、
のぼる反り橋かけるのよ。

残った一人はさみしそう。
私は影をつくるため、
やっぱり一しょにまいります。


2006年4月4日火曜日

Soir de carnaval / Jules Laforgue



ガス燈ともるパリはばか騒ぎ。大時計が弔鐘のように
一時を打つ。歌え!踊れ!人生は短い、
全て儚いーーーそれに、見あげてごらん、「月」が夢みているよ
「人間」など影も形もなかった時代と変わらぬ冷たさで。

ああ!月並みな生きざまだ!全ては一瞬燦いて、消える、
「真実」や「愛」の錯覚でいつまでもぼくらをたぶらかしながら。
ぼくたちのこの生きざまは続くだろう、地球のほうが
天に向かって炸裂し、痕跡もとどめぬ時が来るまで。

あのような叫び、泣き声、高慢なファンファーレの谺、
「歴史」が語るバビロン、メンフィス、ベナレス、
テーベ、ローマなど、今や花の種を風が運ぶ廃墟の街々の、
谺をいったいどこに呼び覚ましたらいいのだろう?

そしてこのぼく、こののち幾日生きるだろう?
大地に身を投げ、ぼくは叫び、戦くのだ、
いかなる神も救ってはくれぬ薄情な虚無の中で、
永遠に眠りこんでしまった黄金世紀を瞼に浮かべて!

今、穏やかな闇の中で、ここまで聞こえる
響く足音、泥酔した労働者の憂鬱な、常軌はずれの
歌声。祭りからのご帰還に、またどこか
あやしげな場所へとあてずっぽうに足を運ぶのだ。

おお!人生は淋しいな、癒しようもなく淋しすぎる!
人間どもの祭りのたびに、ぼくはすすり泣いた:
« 空しいな、空しいな、何もかも空しすぎるよ!»
ーーーそして考えた:ダビデの灰はどこにいってしまったか?




Paris chahute au gaz. L'horloge comme un glas
Sonne une heure. Chantez! dansez! la vie est brève,
Tout est vain, - et, là-haut, voyez, la Lune rêve
Aussi froide qu'aux temps où l'Homme n'était pas.

Ah! quel destin banal ! Tout miroite et puis passe,
Nous leurrant d'infini par le Vrai, par l'Amour;
Et nous irons ainsi, jusqu'à ce qu'à son tour
La terre crève aux cieux, sans laisser nulle trace.

Où réveiller l'écho de tous ces cris, ces pleurs,
Ces fanfares d'orgueil que l'Histoire nous nomme,
Babylone, Memphis, Bénarès, Thèbes, Rome,
Ruines où le vent sème aujourd'hui des fleurs ?

Et moi, combien de jours me reste-t-il à vivre ?
Et je me jette à terre, et je crie et frémis
Devant les siècles d'or pour jamais endormis
Dans le néant sans cœur dont nul dieu ne délivre!

Et voici que j'entends, dans la paix de la nuit,
Un pas sonore, un chant mélancolique et bête
D'ouvrier ivre-mort qui revient de la fête
Et regagne au hasard quelque ignoble réduit.

Oh! la vie est trop triste, incurablement triste!
Aux fêtes d'ici-bas, j'ai toujours sangloté :
« Vanité, vanité, tout n'est que vanité! »
ーーーPuis je songeais : où sont les cendres du Psalmiste?



2006年4月3日月曜日

水たまり / 村八分



日が暮れるまで
夕焼け見てた
ぼろぐつはいて眺めてた
がきの頃を思い出して

しゃぼん玉吹いてきえた
吹かれてすぐ音一つ
おちる下に 水たまり

風に吹かれて水たまり
風に吹かれて吹きだまり
おちる下に水たまり


2006年4月1日土曜日

Az en menyasszonyom / Ady Endre



その人が、通りにたたずむ女でも、後悔はない、
ただ、墓に入るまで側にいてほしい。

暑い燃え立つ夏の日に、ぼくの前に立ち、言ってほしい、
「愛しているわ、わたしが待っていたのはあなた」

追い払われ、追放される者になれ、浮かれ女よ、
だが、時折は、ぼくの心に寄り添ってほしい。

吹きすさぶ嵐の中で、呪いつつ共に立つ時あれば、
二人して、足を絡ませ、倒れていこう。

いかなる時も、ぼくたちの魂が満たされているのなら、
互いの唇に祝福と喜びを絶やすまい。

ぼくがもし、通りの埃になってしまうのなら、
ぼくの方に身を屈め、ぼくを抱き、見守ってほしい。

清らかな、聖なる炎が燃え上がる時あれば、
宇宙の彼方へと共に飛び立っていこう。

絶えずキスをしてほしい、絶えず愛してほしい、
涙と、汚れ、苦しみと、泥の中で。

すべての夢が叶わなかったら、
夢を返してほしい、それがぼくの人生となるように。

化粧した彼女の顔が天使の顔に見える、
彼女はぼくの魂となり、人生となり、死となろう。

すべての石板と鎖を打ち砕き、
死の時まで、ざわめく世界をあざ笑おう。

最後の別れを告げながら、共に笑い、
互いを神としつつ、共に死にたい。

こう言いながら、死にたい。
「人生は罪と汚濁、
だが、ぼくらは清らかで無垢だった」


2006年3月28日火曜日

Ne lassatok meg / Ady Endre



金色のマントなどいらない、
ダイヤの王冠もいらない、
陽気に鳴り響く道化師の帽子も、
色鮮やかなマントも、ぼくにはいらない。

ぼくは灰色の世界の王様、
見えない王座が輝いている。
だれにも気づかれず、飾られもせず、
王に祭り上げられたりしなければ、ぼくは王様。

2006年3月16日木曜日

On Being Blue / William H Gas



私たちが欲望の源に近づくときは、常にこういうふうなのだ。リルケが述べたように、愛にとっては、感覚を次第に短縮することが必要である。私は君を何マイルも先から見ることができる。君の声を数ブロック先から聞くことができる。たぶん数フィート先から君の匂いを嗅ぐことができるが、しかし、接触したときだけ触わることができる。貪り食うときに味わえる。そして、私たちが混じりあうとき、視力ーーー至高の感覚であり、概念の主要な内容である視力ーーーがぼやける。リルケは次のように書いた。「自分の感覚の共同作業を頼みにしているということが、まさに恋をする者にとっての大きな危険にほかならぬ。彼の諸感覚はただ、あの危険な唯一の中心点において出会うにすぎないのだということを、恋する人は知っているのだが、その中心点で、感覚は一切の広がりを捨てて合流するので、永続するものは何もないのである。」

懐中電燈を肌におしつけるぐらいならば、いっそ消したほうがよい。芸術は、電燈と同様に距離を必要とする。性体験を直接に描き出そうとこころみる者が対決しなければならないのは次の事実である。すなわち、性的体験をつくりあげている身もだえは、その想像上の内容がなければ滑稽であるということ。その内容の強烈さはすみやかにその見せかけの原因を追い抜くということ。その体験全体は結局は明確に表現できなくなるということ。そのなかに進みこんでいった一流の芸術作品はないということである。




2006年2月20日月曜日

Pearl River / くるり



月の夜に願いました
あてどなき旅の終わりを

真珠の川
夢の最果て
まぶたの裏の猫が笑った

恋しい人
また会えるなら
必ずここへ迎えにきましょう

果たせない約束は
笹舟に乗せ
浮かべましょう

悲しみは流れ行く
あたたかい涙の海へ

月の夜に願いました
あてどなき旅の終わりを


2006年2月5日日曜日

Le Livre de Monelle / Marcel Schwob




Sur la mer il y a un bateau
Dans le bateau il y a une chambre
Dans la chambre il y a une cage
Dans la cage il y a un oiseau
Dans l'oiseau il y a un coeur
Dans le coeur il y a une lettre
Dans la lettre il y a ecrit : J'aime Jeanie. 
J'aime Jeanie est dans la lettre,
La lettre est dans le coeur,
Le coeur est dans l'oiseau,
L'oiseau est dans la cage,
La cage est dans la chambre,
La chambre est dans le bateau,
Le bateau est tres loin sur la grande mer




海の上に、ひとつの船がある。
船には、ひとつの部屋がある。
部屋のなかに、ひとつのかごがある。
かごのなかに、一羽の鳥がいる。
鳥のなかに、ひとつのこころがある。
こころのなかに、一通の手紙がある。
手紙には、こう書かれている。
「わたしはジェニーを愛している」

「わたしはジェニーを愛している」は手紙のなかにあり、
手紙はこころのなかにあり、
こころは鳥のなかにあり、
鳥はかごのなかにあり、
かごは部屋のなかにあり、
部屋は船のなかにあり、
船は、おおきな海のはるか彼方にある。


2006年1月30日月曜日

Le Suicide / Emile Durkheim



どんな生物も、その欲求が十分に手段と適合していないかぎり幸福ではありえないし、また生きることもできない。それに反して、もしも欲求が、手段の上で許容されるもの以上を求めたり、あるいはたんにその手段とかかわりのないものを求めたりするならば、欲求は、たえず裏切られ、苦痛なしには機能しえないであろう。ところで、つねに苦痛をともなう行動は、くりかえし行われないのがふつうである。十分に満たされない傾向は萎縮するが、生きるという傾向は他のすべての傾向の総体であるから、もし他の傾向が弱まれば、生きるという傾向も弱まらざるをえない。

欲求がたんに個人だけにもとづいているかぎり、けっきょく、それは規制しているいっさいの外部的な力をとりさってしまえば、それ自体では、なにものも埋めることのできない底なしの深淵である。

そうであるとすれば、外部から抑制するものがないかぎり、われわれの感性そのものはおよそ苦痛の源泉でしかありえない。というのは、かぎりなき欲望というものは、そもそもその意味からして、満たされるはずのないものであり、この飽くことを知らないということは、病的性質の一徴候とみなすことができるからである。限界を画すものがない以上、欲望はつねに、そして無際限に、みずからの按配した手段をこえてしまう。こうなると、なにものもその欲望を和らげてはくれまい。やみがたい渇きは、つねに新たにおそってくる責苦である。




2006年1月15日日曜日

Les mots et les choses / Michel Foucault



この書物の出身地はボルヘスのあるテクストの中にある。それを読みすすみながら催した笑い、思考におなじみなあらゆる事柄を揺すぶらずにはおかぬ、あの笑いの中にだ。いま思考と言ったが、それは、われわれの時代と風土の刻印をおされたわれわれ自身の思考のことであって、その笑いは、秩序づけられたすべての表層と、諸存在の繁茂をわれわれのために手加減してくれるすべての見取図とをぐらつかせ、<同一者>と<他者>についての千年来の慣行をつきくずし、しばし困惑をもたらすものである。


ところで、そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。「動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳のみ豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごとく細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壷をこわしたもの、(n)とおくから蝿のように見えるもの。」


この分類法に驚嘆しながら、ただちに思いおこされるのは、つまり、この寓話により、まったく異なった思考のエキゾチックな魅力としてわれわれに指ししめされるのは、われわれの思考の限界、<こうしたこと>を思考するにあたっての、まぎれもない不可能性にほかならない。





2006年1月6日金曜日

ハピネス / Syrup16g



青春は先週で終わった
発想は尽きない
どうしようもない方向でいっちまっても
照れ笑いで再開

完全は完璧じゃないや
想像が織り成す500万画素の別天地なんかを
再現してみたいな

センシティブなエモーション系マイマインド
情感の鬼だ
電車の窓をこする夕日なんかも最重要文化財

I'm ハピネス
どうなっても
悲しみは消える

だけどたまに思うんだよ
これは永遠じゃないんだって
誰かの手にまたこの命返すんだ

ねぇ、そんな普通をみんな耐えてるんだ
ねぇ、そんな苦痛をみんな耐えてるんだ

頭はハピネス いつもハピネス 多分ね
一生オレはハピネス 不幸もハピネスだろう

だからいつも祈るんだよ
不浄な罪 犯ちの
すべてを償って
またここに帰るんだ

ねぇ、そんな普通をみんな耐えてるんだ
ねぇ、そんな苦痛をみんな耐えてるんだ

そうか そうか そうだったんだ
そんな そんな そんな もんだ

2006年1月3日火曜日

Who You Are / Pearl Jam




stop light plays its part
so i would say you've got a part
what's your part? who you are
you are who, who you are




赤信号にもその役割がある
だから僕は言おう、君にも役割があると
君の役割は、君であること
君は、君でしかないのだから